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千葉氏の掲示板1.3
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奈良の千葉 投稿者:千葉 投稿日:2009/07/02(Thu) 23:43:46 No.353  
はじめまして。
うちの家紋は月星紋ではあるのですが、やや、左に傾いた月星紋です。他の千葉でもこのような傾いた月星紋を使用しているのでしょうか?
また、実家は浄土真宗大谷派の某寺なのですが、今ひとつ繋がりが見えてきません。何かご意見あればお願い致します。



徳島市の粟飯原です 投稿者: 投稿日:2009/06/22(Mon) 19:08:50 No.352  
私は、徳島市に住んでいますが、祖父の出身地は徳島県名西郡神山町神領です。粟飯原氏が千葉氏の支流であることをこのホームページで詳しく知ることができました。ありがとうございます。ちなみに徳島県の総本家の粟飯原氏の紋は九曜の星で、三日月家といわれ徳島藩主蜂須賀家の客分待遇で苗字帯刀も許されていたと今は亡き祖父から聞かされています。還暦を越えた今、父祖の地である小見川を訪れ、香取神宮にも参詣したいと思っています。


草冠について 投稿者:幸平 投稿日:2009/05/27(Wed) 20:30:58 No.346  
管理人様初めまして。
生前の父より聞いた話より、奥州千葉一族と言う事が分かりました。
家紋は九曜の紋です。
その時に、本当の千葉の姓は草冠が分かれていると聞きました、ネットで調べても出てこないのですが皆さんの「千葉」の姓はどうなっているでしょうか?(免許証などで見れます。)
実際僕の「千葉」の草冠は分れています。
また、その辺りの事実性はいかがなものなのでしょうか?



Re: 草冠について 管理人PC - 2009/06/07(Sun) 19:06:50 No.350  

 幸平さん、こんにちは。

 草冠の正字が「十十」という形なので、その正字を使った「葉」をご使用されているということなのでしょう。



千葉家の家紋 投稿者: 投稿日:2009/05/12(Tue) 15:07:30 No.344  
私も千葉と申します。といっても千葉氏の本当の家系かわかりません。父は宮城の出身です。祖父にはあったことがありません。今使っている家紋は「橘」だったと思いますが、父からは、「月星」の家紋もあるといわれています。(見たことはありません。)千葉氏で「橘」を使う家系もあるのでしょうか?


Re: 千葉家の家紋 管理人PC - 2009/06/07(Sun) 19:03:38 No.349  

千葉さん、こんにちは。

千葉氏の流れの家々が、必ずしも月星紋を用いるわけではなく、橘紋を使用した家もあると思われます。



無題 投稿者:光長 投稿日:2009/05/07(Thu) 14:26:17 No.343  
私の先祖は佐脇という名です。家紋は亀甲に花菱ですが、
千葉一族の中に佐脇久隆という人が居るそうですが、
この佐脇久隆氏について知っている人はいませんか?
この千葉系佐脇について知りたいです。この家の家紋も亀甲に花菱なのでしょうかね。



Re: 無題 管理人PC - 2009/06/07(Sun) 19:01:05 No.348  

光長さん、こんにちは。

千葉氏の流れの佐脇氏は初めて伺いました。
家紋は千葉氏だからといって、必ずしも曜星や月星紋を用いるわけではなく、その点からは亀甲花菱紋もあると思います。



ふかのっちさんでした 投稿者: 投稿日:2009/04/27(Mon) 09:12:28 No.342  
前日書きました深野忠右衛門さんとは「ふかのっち」さんで
掲示板3の「360」で、投稿日2000年11月28日でした。
まだ、メールを続けられておられることを祈っています。
 藤ヶ谷中上城について知りたいと思います。



藤ヶ谷中上城の位置? 投稿者: 投稿日:2009/04/26(Sun) 15:39:16 No.341  
白井市富塚に城らしき空堀・土塁があります。しかし、文献がありません。藤ヶ谷中上城と富塚の者が戦い「矢の橋」ができたという、伝説があります。ウェブサイトで探すと中上城は県道280号の隣地ですが?疑問です。
 以前、投稿されていた深野忠右衛門さんというにメールを差し上げましたが、メールが戻ってきました。どなたか中上城と深野さんをご存知でしたらご連絡お願いします。



三原の刀 投稿者: 投稿日:2009/04/19(Sun) 00:14:22 No.337  
投稿日:2009/04/18(Sat) 00:12:47 No.336
遠藤但馬守慶隆が秀吉から拝領した三原の刀は、どこの博物館で拝見出来ますか。
刀の現在の状況を教えて下さい。
もしかしたら、私の先祖が作ったのかも知れません。

※文末に長大な空欄ができていたので、管理人により編集しました。



Re: 三原の刀 管理人PC - 2009/04/19(Sun) 16:19:34 No.338  

ごあみさん、こんにちは

残念ながら「三原の腰刀」の行方についての記載は遠藤家の文書にもなく、不明です。



Re: 三原の刀  - 2009/04/20(Mon) 00:45:17 No.339  

御返事ありがとうございます。
秀吉から遠藤慶隆さんが三原の刀を拝領したことは確かで、その後の刀の行方について、遠藤家の文書に記載がなく、現在、所在不明ということですか。
当然、刀の寸法などの概略も不明ですか。



Re: 三原の刀 管理人PC - 2009/04/20(Mon) 12:35:54 No.340  

ごあみさん、こんにちは

寛政譜によれば、秀吉の遺品のひとつに三原の腰刀があり、それを拝領したとの事です。その後、その刀がどうなったのかは記載がありません。また、寸法につきましても不明です。



岩手千葉会 投稿者:母体の千葉 投稿日:2009/04/05(Sun) 20:09:59 No.333  
こんにちは、いつもお世話になっております。

岩手千葉会からの告知をさせていただきます。

春の研修会

日にち 6月6日(土)
場所  鶴城、黒石城遺跡 (奥州市水沢区)
黒石公民館現地集合(10:00)
内容  遺跡および村内視察。2009年度総会
会費 1,500円(昼食込み)

秋の集会

日にち 9月12日(土)
場所 宮城県本吉郡本吉町
内容 馬籠氏、本吉氏について

学習会

日にち 12月6日(日)
場所 水沢区大鐘公民館
内容 未定

冊子「千葉氏の家系」好評発売中です。
1,2,3号 各 500円 (残り少なくなってきています。)
4号    各 800円 (残り少なくなってきています。)
5,6号 各 1,000円
お問い合わせ先 岩手千葉会事務局 TEL 0197(24)5220
 
7号(2009年度版) 資料募集中です。



相馬昌胤の葬儀の導師 投稿者:じょうよ 投稿日:2009/03/16(Mon) 22:48:33 No.326   HomePage
はじめまして

興仁寺の歴代について調べている者です。
早速ですが、「千葉氏の一族」のHPを拝見しておりまして、相馬昌胤の記述で、
「10月7日、昌胤の遺骸は自分が建立した崇徳山興仁寺にて荼毘に付され、11月6日、興仁寺で同寺住持・好譽玄鶴を導師として葬儀が行われた。」
とありましたが、興仁寺の好譽玄鶴が導師をしたという典拠を教えていただければ幸いです。



Re: 相馬昌胤の葬儀の導師 管理人PC - 2009/03/23(Mon) 00:24:14 No.328  

じょうよ様、こんにちは

該当記述につきましては、『相馬藩世紀2』(続群書類従完成会)に記載がありますのでご確認ください。



Re: 相馬昌胤の葬儀の導師 じょうよ - 2009/04/02(Thu) 12:08:20 No.332  

ありがとうございました。
本の記載箇所も確認できました。



私の祖先 投稿者: 投稿日:2009/03/25(Wed) 11:02:47 No.329  
うちの母が言うには私は昔いた平家の武将の子孫らしいです。
うちは母が関東出身ですので、おそらく千葉家の分家であり、母の旧姓である石出家だと考えられます。

ということでこの掲示板これからも見ていきたいと思います。
よろしく。

とは言え石出家も子孫が多いと思うので、具体的に誰の子孫なのかは祖父母亡き今、わからずじまいです。



千葉氏の親戚でしょうか? 投稿者:こくぶ 投稿日:2009/03/13(Fri) 02:00:14 No.324  
曾祖父さんが福島・安達郡の出身です。調べてみると安達郡には国分という名字が多いようです。千葉氏の決闘でしょうか?


Re: 千葉氏の親戚でしょうか? 管理人PC - 2009/03/22(Sun) 23:13:27 No.327  

こくぶ様、こんにちは

安達郡の国分氏については史料が手元になくわかりません。
やや遠くの宮城郡に栄えた国分氏は、国分胤通の末裔とする系譜が伝わっていますが、長沼氏とする伝承も有力です。



お伺い 投稿者:房総管領 投稿日:2009/01/31(Sat) 20:19:17 No.316  
お邪魔致します。
幾つか質問をお許し下さい。

苗字が千葉と名乗っている家系は、
千葉一族と関わりがあるのでしょうか?

又、頼朝以前、源氏(関東在住の)の家来となっていた千葉氏にはどのような人物がおりますか?

以上のこと、お解かりになりましたら教示願います。




Re: お伺い 管理人PC - 2009/02/01(Sun) 21:39:09 No.317  

房総管領様、こんにちは。

>苗字が千葉と名乗っている家系は、千葉一族と関わりがあるのでしょうか?

 血縁上の関わりとすれば断定できません。領主または主君から受けた場合、後年に肖った場合、明治期の平民苗字許可令や義務令による場合など、苗字を名乗る可能性は数多くあるためです。

>頼朝以前、源氏(関東在住の)の家来となっていた千葉氏にはどのような人物がおりますか?

 頼朝以前の関東における源氏と千葉氏との関係は、義朝・常胤以外見られませんが、上総介八郎広常と常陸の佐竹氏との間には血縁と思われる記述が『吾妻鏡』に見られます。



Re: お伺い 房総管領 - 2009/02/01(Sun) 23:29:36 No.318  

管理人様

教示頂き、ありがとうございます。
今後とも、よろしくお願いします。



『千葉県の歴史 通史編 中世』の... 投稿者:書記長 投稿日:2009/01/12(Mon) 13:34:15 No.304  
いつも、ここを拝見させて頂いております。
私も千葉県の郷土史に関心があり、様々な本を読ませていただいているのですが、1つ疑問が生じましたので、管理人さんのご見解を伺いたいと思い、一筆したためた次第です。

2007年に千葉県史料研究財団から刊行された『千葉県の歴史 通史編 中世』の第1編第2章(130-134ページ)において、鎌倉期の千葉氏の系譜についての見解が載せられております。

かいつまんで説明すると、
@『本土寺過去帳』所収の「千葉介代々御先祖次第」に従えば、千葉胤綱の享年は31歳となり、『吾妻鏡』『千葉大系図』の21歳と10歳差が出る。
A胤綱が九条頼経を京都から迎え、承久の乱で兵を率いた事実を否定する史料はないが、21歳享年説を採用するとそれらが全て10代前半の出来事になってしまい不自然が生じる。
B『神代本千葉系図』や『般若院系図』では、時胤は胤綱の長子、泰綱は次男となっている。『千葉大系図』ではこれを否定して時胤を成胤の子とするが、これは21歳享年説を採れば時胤が胤綱12歳の子になるからという理由であり、31歳享年説では時胤が胤綱22歳の子となるため親子関係に矛盾がない。
C更に「千葉次郎」「千田大二郎」と称された千葉泰胤の系譜について重大な矛盾が見られる。『千葉大系図』では成胤の子で胤綱の弟、時胤の兄としているがこれは時胤の生年と成胤の没年が合致することから、『般若院系図』が採る時胤の弟という説を否定して兄としたものであるが、泰胤を差し置いて時胤が家督を継いだ理由が全く説明されていない。
Dそして、根本的な問題として『源平闘諍録』にも記された「例え養子であっても長子を千葉氏の正統な後継者として保護する」と千葉妙見社伝説と矛盾する(『千葉大系図』では時胤は成胤三男でかつ長男胤綱との養子縁組の事実は無い。同神話が盛んに強調された背景の1つには成胤の弟系統である上総千葉氏に対する千葉介家の優位性の強調であるから、少なくても鎌倉時代中期までは千葉氏では長子間相続が行われていなければ、説話自体が成立しない。

以上の点から、同書の結論としては、
*千葉胤綱の享年を廿一とした『吾妻鏡』は、恐らく原史料にあった卅一(31)を誤って廾一(21)と引用してしまい、それを信じた『千葉大系図』の作者がそれによって発生する系譜の矛盾を先行系譜の誤りと判断して系譜を『吾妻鏡』に合わせる形で修正してしまった。
*千葉胤綱の享年は31歳である以上、長男・次男(すなわち時胤と泰胤)がいても何ら不思議は無く、先行系図の親子関係は間違いがないこと。つまり、泰胤は「成胤の次郎」ではなく「胤綱の次郎」である。
*従って、宝治の合戦までは、千葉介は代々長男によって継承されており、「千葉常胤−胤正−成胤−胤綱−時胤」とするのが正しい系譜である。

……という結論に達しておられます(私の要約が悪いかも知れないので、管理人さんには当該史料の確認をされた方が良いと思われますが)。管理人さんはこの見解についてどうご判断されるでしょうか? 
ご存知と思われますが、『千葉県の歴史』は県史として刊行されている書籍ですから、執筆された方もいい加減な主張を書かれたとは考え難く、鎌倉期千葉氏の研究にも大きな影響を与えると考えられます。



Re: 『千葉県の歴史 通史編 中世... 管理人PC - 2009/01/13(Tue) 00:02:04 No.305  

書記長様、こんにちは。

 胤綱、時胤、泰胤の続柄についてはご紹介の記事は非常に妥当でしょう。

 Dについては、長子継承の妙見社説話を、上総千葉氏への対抗と見るのには、私は疑問を感じます。確かに上総千葉氏は官職上、千葉惣領家を凌いだ時期があったのは確かと思われますが、『吾妻鏡』の記述による幕府の対応を見ても上総千葉氏が千葉惣領家を乗り越えて一族全体に惣領権的な力を行使できたかといえば、それはなかったと考えています。また、上総千葉氏と千葉惣領家の間での勢力争いの形跡も見られません。

 妙見社の妙見説話を取り入れた背景には、胤綱や時胤といった短命の当主が続き、幼少の亀若丸が千葉惣領家となり、宝治合戦などの一族衰退の危機に及び、たとえ幼少と雖も亀若丸の地位は妙見によって保障されていると、妙見の影響力を以って亀若丸の正当性を顕かにし、千葉惣領家の惣領権の及ばない庶子家も含め、同祖の間で緩んでいた結束を強めようとしたのでは、と考えています。



Re: 『千葉県の歴史 通史編 中世... 書記長 - 2009/01/13(Tue) 06:58:56 No.306  

ありがとう、ございます。

Dの部分についてですが、もう一度再読すると、

>『源平闘諍録』にも収録されたこの妙見神話は、宝治合戦による千葉氏の危機の時代に、千葉介を中心に一族の再結集を目的として創作された「千葉妙見社」の説話である。もし、系図B(注:「千葉大系図」由来の系図)のように、弟の時胤が兄の泰胤を差し措いて家督を継ぐという事態が宝治合戦のころに実在したならば、そのような神話は作られなかったに相違ない(134ページより)。

となっており、同書の論の趣旨も管理人さんのお考えの方が近くて、当方のまとめ方に問題があった感があります。その点についてはお詫びを申し上げたいと思います。



Re: 『千葉県の歴史 通史編 中世... 修理 - 2009/01/26(Mon) 23:18:33 No.312  

いつも楽しく拝見させていただいております。
さて、成胤―胤綱―時胤の関係は「千葉県の歴史」の意見に賛成なのですが、どうしても一点だけクリアできない問題が私にはあります。「5月27日付平亀若丸請文」にある祖父成胤の記述です。成胤―○―頼胤ということでしょうか?



Re: 『千葉県の歴史 通史編 中世... 管理人PC - 2009/01/27(Tue) 23:49:19 No.314  

修理様

『平亀若丸請文案』については見落としておりました。ありがとうございました。

「■由被仰下候之間令修復候畢■■■■■■■■■■
 ■彼御時御教書■案○進上之○而至今度者可令造進
 ■対之由被仰下之間尤雖合期者也且建暦御造営
 ■祖父成胤之時也至亀若丸者僅雖有嫡家相伝之名致
 ■分所領面々候之間所被仰下候之御公事等有催促之
 ■希勤仕之輩也然者縦雖彼御侍猶以雖令致合期之沙
 汰候歟況於西対歟就中今年適相当京都大番役候畢
 ■仰御○迹■○任先例可令造進 宮御方侍之可由被下
 ■亀若丸恐惶謹言」

 現物の写しを見ていないため、活字から読み取るのは難しいのですが、欠損部分はだいたい最上段または最下段にあてはめると、だいたい上記のような形に当てはまります。「■祖父成胤之時也」の■が「曾」であれば曽祖父とも読み取れます…が、推測の域を出ません。ただ、そうした可能性もあることから、この文書から続柄を判断するのは難しいかもしれないですね。



Re: 『千葉県の歴史 通史編 中世... 修理 - 2009/01/28(Wed) 23:55:05 No.315  

お忙しいところ本当にありがとうございました。
私が持っている文書には「〜建暦御造営■(者ヵ)祖父成胤」となっていたので「千葉大系図」の亀若丸(頼胤)にとって祖父成胤という案を捨てきれずにいました。
この文書から続柄を判断するのが難しいとなると、
「千葉県の歴史」の案どおり、
成胤−胤綱(31歳)−時胤の流れのほうが年齢的条件にあっているような気がしますね。推測の域をでませんが・・・。



埼玉苗字辞典について 投稿者:NM 投稿日:2009/01/08(Thu) 12:05:42 No.296  
明けましておめでとうございます。
本年も、よろしくお願いいたします。
埼玉苗字辞典を紹介させていただきます。
4部作で、大作です。
昨日、当方、国会図書館で拝見させていただきました。
国会図書館、埼玉県立図書館、関東各県の県立図書館に著者の茂木和平氏が寄贈されております。
ちなみに、各部、21,000円ですが、一式(4部)でないと、販売しないとのことです。
千葉氏関連の苗字も載っているとは思います。
ご興味のある方は、一度、拝見されてはいかがでしょうか。



Re: 埼玉苗字辞典について 管理人PC - 2009/01/09(Fri) 12:32:41 No.299  

NM様、こんにちは。

情報ありがとうございました。
今度、国会図書館にて閲覧してまいります。



Re: 埼玉苗字辞典について NM - 2009/01/09(Fri) 13:37:21 No.300  

埼玉苗字辞典の宮内氏項を拝見して、
千葉氏関連でコメントしたいと思います。
千葉氏、海上氏、東氏流、宮内清左衛門尉は利根川を遡り、廻船業を営んでいたことが、関宿の簗田氏との交流文書に残っておりますが、
1500年半ばには、鷲宮神社社人初代宮内左門が登場しております。この人は、現加須市志多見の人です。
千葉氏流で神主の宮内氏が移り住んだことも考えられます。



Re: 埼玉苗字辞典について NM - 2009/01/10(Sat) 20:02:58 No.301  

追伸します。
推測ですが、
古河付近で、鎌倉道?を通って移動した
武蔵の稲毛庄の宮内氏が、利根川を遡った上総の宮内氏と
時間的には若干ずれている(100年のずれはないと思う)が、地理的に衝突しているのかな、と。
過去ログ182をご参照下さい。



Re: 埼玉苗字辞典について NM - 2009/01/11(Sun) 06:57:38 No.302  

埼玉苗字辞典の紹介ホームページを、
紹介させていただきます。
辞典の抜粋が載っているので、どんなものが書いてあるかわかります。
http://homepage1.nifty.com/joichi



Re: 埼玉苗字辞典について 宮内二郎 - 2009/01/15(Thu) 07:20:15 No.307  

今後、NM改め、宮内二郎で、書き込みます。
よろしくお願いします。

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