兵主八幡宮沼南町手賀字宮前1418-1)

 手賀・片山地区の鎮守。室町時代、手賀城主の原氏が一族の鎮守とした神社でした。「兵主」とは大国主命のこと。並んで「八幡様」(応神天皇)を祀っています。

 その参道は道路に平行して南北にまっすぐ走っており、幅は5m、長さは200mにも及んでいます。この直線の参道は「馬場」と呼ばれていて、手賀城主・原氏が流鏑馬を行う馬場であったとされています。南北両端にある結界門から先は牛馬の侵入が禁止されていました。明治時代まで馬場の両側には樹齢数百年という大木が整然と並んでいたのですが、長い年月の間に根元の土が流出し、根が露出していました。しかし不思議なことに、馬場側には根が出なかったということです。この大樹並木は明治35(1902)年の台風によってほとんどが倒木してしまいました。

 小田原落城とともに手賀城も陥落し、同神社は大山家(原氏旧重臣)の氏神となったようです。文化14(1817)年9月、手賀の宮大工棟梁・嘉平が現在の本殿(上写真)を造営して手賀・片山地区の鎮守として祀られるようになりました。

 毎年正月15日には邪気を払うとされるオビシャ(御歩射)が行われ、7月1日に行われる「アンバサマ」の祭りでは手賀地区から当社まで山車と神輿がくりだされます。

祭神 大国主命(兵主社)、応神天皇(八幡社)
祭日 1月15日…オビシャ
7月1日…アンバサマ。山車・神輿が出る
 
 
−兵主八幡宮−
 
 ▲兵主八幡宮
 
 ▲八幡宮の参道