【河越氏】【畠山氏】【高山氏】【江戸氏】【渋谷氏】【葛西氏】
1.秩父氏の歴史
秩父氏は村岡五郎良文の子孫で、房総半島を中心に「長元の乱」を起こした平忠頼の次男・平将恒を祖とする。
その後、平忠常は源頼信に攻められた神妙に降伏したため、「忠常男常昌常近」は赦された(『左経記』)。おそらく兄弟・平将恒も赦免されたのだろう。武蔵国秩父郡中村郷に館を構えた。のちに「武蔵権守」に任じられたともされ、治安3(1023)年4月、武蔵介藤原真枝が勅命に反したため、将恒は武蔵国豊嶋郡で真枝一党を滅ぼし、恩賞として駿河国益頭郡・武蔵国豊嶋郡・上総国埴生郡・下総国葛西郡を賜ったという(『千葉大系図』)。
その子・太郎武基は秩父牧(官牧)の別当職に就任。その子・十郎武綱は「後三年の役」で源義家に従って奥州を転戦、白旗を賜り先陣を務めた。彼の子孫・畠山次郎重忠が頼朝の陣に降伏した際に持参した白旗はこのとき賜ったものであるといい、武綱の故事に倣い、重忠が鎌倉勢の先陣を承ることとなった。
秩父氏は武蔵国最大の勢力を持つ在庁官人であり、武綱の子・平重綱は国司の留守を預かる留守所の長官・「留守所惣検校職」に就任し、検校職は大蔵郷に館を構えた次男・平重隆に継承された。
重隆の長男・太郎大夫重弘は畠山庄(大里郡川本町畠山)の荘官となって畠山氏を、三男・三郎重遠は高山郷(飯能市高山)に住んで高山氏を、四男・四郎重継は太日川河口付近の江戸郷(東京都江戸川区)に住んで江戸氏を称した。重綱の弟・平基家は武蔵国荏原郡(神奈川県川崎市)に移り住み、多摩川の河口付近の低湿地を開発して河崎冠者と呼ばれ、開発した橘樹郡河崎郷を寄進して河崎庄を成立させて荘官となった。
彼らの子孫は源義朝に仕えたが、平治の乱で六条源氏の一族が絶えてしまうと、武蔵国守・平知盛(平清盛の子)に仕官し、京都へも出仕している。しかし、頼朝が挙兵すると、はじめは頼朝に敵対していた秩父一族も頼朝に従うようになり、鎌倉幕府草創期の有力な御家人となっていく。
しかし、秩父氏惣領・河越太郎重頼は、その娘が源義経の妻となっていた関係から、義経に連座して処刑され、その勢力は衰退した。また、河越重頼を継いで留守所惣検校職となった畠山重忠も北条氏によって討たれ、北条氏専制の中で秩父党は、武蔵国を知行国とする北条得宗家の支配下に収められていった。そして、河越氏は室町時代には一時的に勢力を取り戻すも、足利氏に対する不満から「平一揆」を主導して滅亡を遂げた。
2.秩父氏の一族
●秩父氏略系図●
平良文―――忠頼―+―忠常――→【上総氏・千葉氏】
(村岡五郎)(次郎)|(上総介)
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+―将恒――+―武基――秩父武綱―+―重綱――+―重弘―――+―娘 +―重秀
|(太郎) |(太郎)(十郎) |(留守所)|(太郎大夫)|(千葉介常胤妻) |(小次郎)
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| | | | +―畠山重能――+―重忠―――+―重保
| | | | |(畠山庄司) |(太郎大夫)|(六郎)
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| | | | | +―長野重清 +―重慶
| | | | | |(三郎) (阿闍梨)
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| | | | | +―渋江重宗
| | | | | (六郎)
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| | | | +―小山田有重―+―稲毛重成――――重政
| | | | (小山田別当)|(三郎) (太郎)
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| | | | +―榛谷重朝――+―重季
| | | | |(四郎) |(太郎)
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| | | | +―小山田行重 +―秀重
| | | | (五郎) (次郎)
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| | | +―重隆―――葛貫能隆――河越重頼――+―重房
| | | |(留守所)(葛貫別当)(留守所) |(太郎)
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| | | +―高山重遠―――重久 +―重時
| | | |(三郎) |(次郎)
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| | | | +―重員
| | | | |(三郎)
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| | | | +―娘
| | | | |(源義経妻)
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| | | | +―娘
| | | | (下河辺政義妻)
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| | | +―江戸重継―+―重長―+―忠重
| | | (四郎) |(太郎)|(太郎)
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| | | +―朝重 +―親重
| | | (次郎)|(次郎)
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| | | +―重通
| | | |(四郎)
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| | | +―重宗
| | | |(七郎)
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| | | +―娘 +―光重
| | | (河野通有妻)|(渋谷庄司)
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| | +―小机基家――重家――――為重――渋谷重国――――+―高重
| | (河崎冠者)(平三大夫)(五郎)(渋谷庄司) |(太郎)
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| +―武常――豊嶋常家―――康家――清元――葛西清重 +―時国
| |(次郎)(六郎) (太郎)(三郎)(三郎) |(四郎)
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| +―小山田常任 +―実平――遠平―――惟平 +―重助
| (小山田大夫) |(次郎)(弥太郎)(先次郎) |(五郎)
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+―山辺頼尊――常遠―――――中村常宗―――宗平―――+―土屋宗遠―+―義清 +―娘
(悪禅師) (武蔵押領使)(笠間押領使)(中村庄司)|(三郎) |(次郎) (佐々木秀義妻)
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+―友平 +―宗光
(四郎)
●平安~鎌倉期までの武蔵国惣検校職歴代●
・平将恒→平武基→平武綱→◎平重綱→秩父重隆→河越重頼→畠山重忠→河越重員→河越重資―河越貞重(?)…
秩父氏は武蔵国最大の勢力を持つ在庁官人の家柄で、平重綱は、国司不在の武蔵国衙(政庁)の留守を預かる「留守所惣検校職」に就任している。また、惣領は代々秩父牧という広大な勅旨牧を支配していた。
重綱の長男・重弘は畠山庄(埼玉県大里郡川本町畠山)の荘官となって畠山氏を称したが、彼は長男であるにもかかわらず、惣検校職は二男・重隆に継承され、重隆の子孫・河越氏に継承されていくこととなる。三男・重遠は高山郷(飯能市高山)に住んで高山を称し、四男・重継は太日川河口付近の江戸郷(東京都江戸川区)に住んで江戸氏を称した。さらに分流には武蔵国と相模国の国境付近、多摩川沿いの相模国高座郡渋谷庄を領した渋谷氏がいた。
渋谷氏は秩父党ではあるが、相模国を本拠としていたことからか武蔵国北部を中心に領していた秩父党とは行動をともにしておらず、大庭氏などの鎌倉党と密接な関わりを持っていたことがわかる。
■秩父一族のリンク■
| 河越氏 | 秩父党の惣領家。代々、武蔵国惣検校職を世襲する家柄として続き、鎌倉時代から室町時代にかけて有力な豪族に成長する。 |
| 畠山氏 | 秩父党の長男の家柄。平安末期、惣領・河越氏とは対立関係にあったことが見受けられる。畠山重忠を輩出する。 |
| 高山氏 | 秩父党の一族で、ほかの一族とはやや離れた高山郷を本拠に発展。畠山重忠の子孫と伝わる浄法寺氏も実際はこの流れ。 |
| 江戸氏 | 秩父党の一族で武蔵国湾岸を治めていた一族。太日川(江戸川)の河口水運を支配し、河越・畠山氏と並ぶ有力な豪族だった。 |
| 渋谷氏 | 秩父党の中でも最も古い一族。武蔵と相模の境・渋谷庄の開発をし、佐々木氏や相模大庭氏との関わりを持っていた。 |
| 葛西氏 | 秩父党の分家・豊嶋氏の庶流に当たるが、本流の豊嶋氏をしのぐ勢力を持ち、のち奥州太守と呼ばれるほどの勢力を築く。 |
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